先日の「エポペの集い」では、大変多くの方にご参加いただき、深く感謝申し上げます。お店を貸切にして、みんなでゆっくりお話ができるのはいいものですね。
さて、本年も、「グローバルフェスタJAPAN2012」が、10月6日(土)、7日(日)に日比谷公園国で開催されます。
国際協力活動を行っている政府機関、NGO、企業などが一堂に会する国内最大の国際協力イベントです。
NGO(東京都認証NPO法人)HINTも出展いたしますので、懐かしい常連にお会いになるためにも、お気軽に冷やかしにいらしてください。
当日飛び入りの1時間だけの売り子さん(サクラ?)のボランティアも常時募集中です。
なお、今年のフェスタは東京都主催の全国都市緑化フェアと同時開催になります(日比谷公園を、グローバルフェスタと緑化フェアの双方で利用します)のでご注意をお願いいたします。
http://www.gfjapan.com/
http://www.gfjapan.com/download2012/2012_Pamphlet.pdf
※HINT(ヒューメイン・インターナショナル・ネットワーク)は、エポペに集うサラーリーマンが中心となって設立したボランティア団体です。今年で設立18年を迎え、アフリカではコンゴ民主共和国における民族を超えた奨学基金の運営、アジアではベトナムの少数民族や貧しい農村の教育・医療・農村開発の支援を続けています。
HINTのホームページへ
2012年6月30日(土)14時から16時まで、エポペから生まれたNPO法人HINT(ヒューメイン・インターナショナル・ネットワーク)の18周年を祝う記念講演会(参加費:無料)が真生会館(JR信濃町駅下車1分)で行われます。
今回、お話をしてくださる講師は元特命全権大使で、現在は日本大学で教鞭を執っておられますが、奇しくも、ネラン師の東大教養学部時代の教え子だそうです。
テーマは「アフリカの紛争について考える」。講師の黒川祐次(くろかわ・ゆうじ)氏は、1944年愛知県生まれ。外務省入省後、モントリオール総領事、ウクライナ特命全権大使、コートジボワール特命全権大使などを歴任し、現在、日本大学国際関係学部教授です。『物語ウクライナの歴史』(2002、中央公論新社刊) をはじめ著書も多数。
キリスト教の問題点として、植民地主義に加担したのではないかという点が必ずといっていいほど挙げられますが、これらの点についても触れながら質疑応答もしていただく予定です。
続く、16時からはHINTの総会となります。アフリカやベトナムで行っている支援事業についての報告がございますので、よろしければ、ぜひご参加ください。
なおその後、18時より21時まで(引き続き二次会)、月末恒例の「エポペの集い」をJR信濃町駅スグの「プロント」(03-5360-6236 飲み放題・3800円)で開催いたします。
どちらも、初めての方も安心してお気軽にお越しください。
「上手にきいていただいて、ありがとうございました」
NHKの番組「こころの時代~宗教・人生~アーカイブス」(無心のすすめ 福島慶道老師)の最後で、インタビュアーの御礼に対して、こう応える元東福寺派管長の言葉に、本物の宗教者の姿を感じたことがあります。
だれかのお話を訊く・聴くというのは、非常に難しいことを心底分かっている方の言葉だと思ったからです。
お客さまのお話を聴くということは、どんな仕事においても基本だと思いますが、ただただ人の話を聴くということは、実は非常に難しいもの。
被災地には、傾聴ボランティアとして、多くの宗教者が現地に入っています。
ネラン神父は、「人はだれかに相談をしようとするとき、自分の結論は出ているもの。だから、わたしは説教をするのではなく自分の耳を貸すだけ」だと申しておりましたが、この「耳を貸すだけ」ということが意外に難しいのです。
当たり前ですが、耳を傾けるということは、単に音を聞いていればいいというものではなく、相手の方の言葉を理解して受け留めることです。
ある意味で、その方が背負っているものを分かち合う姿勢が必要になります。
もちろん、具体的には、その方の人生を背負うことなどできないのですから、ある意味で、なのですが、この理解するという姿勢だけでもまた非常に難しいことなのです。
「忠告して欲しいんじゃないのよ、ただ聴いて欲しいの!」というお客さまのエピソードについては、以前もブログに書きましたが、逆に言えば、聴いてもらえるだけで、人はかなり救われる気持ちになるのでしょう。
ただ、聴く側は、聞くだけではなく、理解しながら聴くのですから、相当の集中力が必要になりますし、わからなかったり、聞き漏らしたら尋ねるのは当然ですが、あくまでも聴くことに徹することが要求されます。
ですから、たった1時間だけでも傾聴するのは、仕事としては非常に大変な作業になります。
厳密には、仕事だと思ったらできないことなのかもしれません。目の前にいる方をこころから大切に思わないと務まるものではありませんし、人間が好きでないと向いていないかもしれません。
そして、相手の恥ずかしいと思っているような内容を伺ったときにも、それを誰かに漏らさないことはもちろん、次回会ったときには、(きれいに忘れているかのように)普通に接することも大切になります。
熟練のマスターは罪のゆるしは与えません(与えられません!笑)が、愚痴や恥かしい話、哀しく辛い内容を常に聴き続けていますので、次回お会いした時にも、まるで何もなかったかのように優しく対応してくれるはずです。
ちなみに、カトリック司祭(神父)の場合は、信者の罪の告白をきいた後に、罪のゆるしを与えることができます。
そして、その内容は決して漏らされないわけですが、その後、それがどれほど重い罪だったとしても、相手や周りの人にも、話すのはもちろん、態度で表すことさえできないという重い任務を負っています。
(しみじみ、大変な召命だと思います……)
年末に向けて、苦しい思いを抱えておられる方がおられたら、どうぞ、お近くの教会をお尋ねになってみてください。きっと、力になっていただけるはずです。
対中国問題で百家争鳴のエポペですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
さて、来週の土曜日(10月2日)、日曜日(3日)は「グローバルフェスタJAPAN 2010」が日比谷公園で開催されます。真の国際協力とは何かを考えるきっかけとして毎年行われている楽しいイベントです。
世界中の食べ物が味わえる二日間、若者をはじめ、家族連れや、散歩がてらの人々で賑わう、お祭りの場にいらっしゃいませんか。
エポペから生まれたNGO、特定非営利活動法人ヒューメイン・インターナショナル・ネットワーク(HINT)も、オレンジエリア(Oの019)に出展いたします。
簡単なお手伝いをしていただく当日のボランティアを大募集中です(1時間でも可)!
エポペ・スタッフか、下記のお問い合わせフォームでお尋ねいただければ幸いです。
http://www.epopee.co.jp/hint/utility/contact.html
= グローバルフェスタJAPAN 2010 =
テ ー マ MDGs、それは “私たちの約束”
開催日時 2010年10月2日(土)・3日(日)10:00~17:00
開催場所 日比谷公園
入 場 料 無料
趣旨・内容 「10月6日は国際協力の日」を記念して開催される国内最大級の国際協力のイベントで、1990年より開催されており、今年で20周年を迎えます。楽しくわかりやすい参加型イベントを通して、国際協力を身近に感じてもらうとともに、開発途上国の現状とODAを含む国際協力の必要性や国際協力にあたっての政府、国際機関、NGOの活動を広く理解していただきます。
今年のテーマは「MDGs、それは“私たちの約束”」。「2015年までに世界の貧困を半減する」ことを目標とする「ミレニアム開発目標(MDGs)」の達成に向け、グローバルフェスタを通して、みんなで一体となって「約束」への第一歩を踏み出します。
主 催 グローバルフェスタJAPAN2010実行委員会
共 催 外務省
独立行政法人国際協力機構(JICA)
特定非営利活動法人 国際協力NGOセンター(JANIC)
参加団体 援助関連政府機関・公益法人、国際機関、大使館、青年海外協力隊関連団体、NGO団体関連287団体
http://www.gfjapan.com/
やっぱり、きょうも暑いのでベトナムのお話の続きです。ちなみに、お盆期間中もエポペは涼しく営業中です。
さて、日本では真夏のこの時期、ベトナムでは雨季にあたります。
こちらの梅雨とは違い、当地の雨季には日に一度ほど、どしゃ降りのようなスコールが降ります(最近は日本でも!?)。
こうなると、どんなに暑くても、す~っと涼しくなり、仕事の合間に昼寝でもできたらもう最高の気分です。
そういえば、映画「青いパパイヤの香り」にもそんなベトナムの日常風景が描かれていたはずです。
監督のトラン・アン・ユン氏は幼い頃フランスに移住し、ネラン神父の住んでいたリヨンの映画学校を卒業しています。
実は、この映画のロケ地もパリ郊外で、在仏のベトナム人スタッフたちによって撮影されたのだそうです。
つまり、この雨のシーンは、外国に住む監督やわたしたちにとってこそ、特に印象深いベトナムの美しい情景の一つと言えるのかもしれません。
さて、わたしにとってベトナムとの本格的な出会いは、15年ほど前のこと。
貧しい山岳民族が自分の小教区に移動してきたので、日本の人々がサポートしてくれないかという手紙を、イエズス会の安藤神父経由で現地のホアン神父から受け取ったことがきっかけです。
はじめて出会ったったホアン神父の司祭館はみすぼらしく、聖ヨハネ・マリア・ビアンネもかくやと思わされるほど田舎の貧しい教会でした。
聞けば、ベトナム戦争の最中に、北方から逃げてきた避難民がサイゴン(現ホーチミン)市内に入れず、農業をするにも非常に土地柄の悪いこの地域に定住するしかなかったためとのこと。
そしてさらに、少数民族の安定した生活を望む定住化政策によって、この貧しい地域に、より貧しい少数民族が移住を余儀なくされたのだと言います。
現地を訪ねてみると、驚いたことに、母親に抱かれた少数民族の幼い子どもたちは泣き声すらあげられない酷い状況でした。
ルワンダから帰ってきたばかりのわたしでしたが、日本に近いアジアの中にもこれほど悲惨な状況があることを知って愕然としました。
考えてみれば、そのベトナム戦争では(いまも問題の)沖縄の嘉手納基地から多くの爆撃機が飛び立っていったはずです。
「戦争を知らない」世代の自分にも、なにかしら、責任の一端のようなものを感じずにはいられませんでした。その意味では、このミッションは、わたしにとって至極当然のことのように思われたのです。
こうしてベトナムの方々とのさまざまな絆が生まれることになりますが、続きはまた次回に!