「自然農の農作物をお買い上げいただき、ありがとうございます。
耕さず、農薬、化学肥料を用いず、草や虫を敵としない自然農は、川口由一さんが奈良県で始められました。現在全国に実践者が増えつつあります。
作業はほぼ手作業で、自然の中の様々な生き物の生息環境を大切に考え、人類がこの地球上でいつまでも続けていける農法です。
野の草の中で育った野菜たちは大きくはなくても味や生命力が豊かな野菜たちです。」
(生産者:飯沼和歌子 農作物の説明より)
福島県で「不耕起栽培」の取り組みを実践している、エポペ本店の最初の女性スタッフでOBの飯沼和歌子さんが久しぶりに来店してくれました。
早速、農園で取れた無農薬のポップコーンをお店のフライパンで作ってみて試食会をしましたが、しっかりしたそのおいしさに皆が舌鼓。
(次回の個展は是非とももっと早くご案内いたしますが、先頃、六本木で「福島の自然・自然農の畑・自然と心象―フォト・水彩」と題する彼女の個展が行われ、盛況のうちに終了できたとのことです。)
飯沼さんがこの農法に出会ったのは、川口由一さんの著書を読んだのがきっかけだそうです。そして、この書籍の中で紹介されていた自然界のいのちの在り方や四季の移り変わりの素晴らしさにあらためて気づかされたと言います。
感動した彼女が川口さんに手紙を書いたところ、トントン拍子で研修の受け入れ先を教えてもらうことができ、一念発起して一路福島へ。
あれよあれよという間にいろいろなことがスムーズに決まり、なんだか神さまのお導きで、いまのライフスタイルになることが決まっていたかのような、そんな気さえするそうです。
ただ、そこでの研修生活は忘れられない思い出となっているそうで、頑張りすぎて寝込んだこともあり、特に薪での煮炊きは本当に大変だったようです。
それでも6人の研修生が古民家に寝泊まりをしながら自活し、食材も自分たちで調達するのが原則なのだそうです。
最初は近隣の農家の畑を借りて研修を受け、今度は自分の畑でやることの繰り返し。食料はそこから自分たちで手に入れ、春は山菜を集めたり、秋はキノコを採ったりしての生活だったとのこと。
農作業は3月頃から12月頃まで年間を通して続く息の長い仕事なので、自分の体力を考えながら倒れないようにしつつ、無理せずに淡々と続けていくことの大切さを身をもって学んだそうです。
今では、自分だけの畑ももっており、農作業にもかなり慣れて毎日が楽しいそうですが、ここまで来るのに4年の歳月が必要でしたと語ってくれました。
これからはようやく余裕もでてきたので、農閑期には創作活動にも積極的に取り組んで、次の個展に向けてさらに充実させる構想を練っているそうです。
飯沼さんのエコライフ・スローライフについて、さらに、詳しいお話を伺いたい方は、Mixiのコミュニティ検索でエポペのキーワード「EPOPEE」から、ハンドル名「わか」のブログをご覧になってみてください。
本日は新人の留学生スタッフのご紹介をさせていただきます。二人とも二十代の若い女性スタッフで、(エポペ伝統の?)やっぱりお嬢様育ちのようです(笑)。
皆様の温かい励ましと、ご指導をよろしくお願いいたします。
実は、ご紹介が遅れましたがジャンさんは昨年からエポペを手伝ってくれています。ソウル育ちでカトリック学生会でも活躍していました。
現在は旅行会社に勤め、日本にも月2回は仕事で来ています。もしかすると、日本各地の名所と美味しいものを日本人以上に熟知しているかもしれません。
今回は日本語の語学研修のために会社から長期研修休暇を取って来ており、勉強熱心で料理上手です。
これからも日本と韓国の交流がもっと盛んになることを願って頑張りますので、末永く、どうぞよろしくお願いしますと申しております。
特技はベースギターと、コラムやエッセイを書くことだそうです。彼女のやさしい笑顔もどうぞ見に来てください。
続く、先週から入ったばかりのソさんは、ジャンさん同様、笑顔の素敵な女性スタッフで頑張り屋さんです。紹介は金チーフの大学の後輩の友達から、日本語が勉強できて、料理もできるようになると言われて連れてこられたそうです(…!?)。
特技はスノーボードで、韓国では上級だったそうです。子どものころからいつかは広い世界を訪ねてみたいと思っていたので、地図を見るのが大好きだったそうです。
中国と貿易をしているお父上の会社で働いていたそうですが、デザインの勉強をするためには日本語が必要だと考えてやってきました。
日本語を勉強し始めてまだ2ヶ月足らずなので、日本の文化や習慣も含め、これからどうぞご指導くださいと申しております。
若々しいスタッフに囲まれて、一足早くエポペに春がやってきたようです。
次回は、神学部の大学院生でもある日本人スタッフもご紹介させていただきますが、まずはぜひお越しいただき、お話をなさっていただければ幸いです。
エポペのスタッフは、ネラン神父以外はバーテンダーのすべてが聖職ではない別の仕事や学業をもっています。
その理由のひとつは、日本でイエス・キリストを伝えるためには聖職者や教職者ではない者こそが担うべきだという、ネラン神父の強い信念によるもの(もっとも、ここから修道会や宣教会に入るケースは少なくありません)。
こうして、ともに同じ釜の飯を食べたOBのスタッフはエポペを離れても祈りの絆で結ばれています。
そんなOBの一人で、武永賢氏は正真正銘の医師です。
彼の二冊目の著者『日本人が知らない幸福』(新潮新書)が上梓されていますので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
『日本人が知らない幸福』(武永賢著)
ちなみに、一冊目の『それでも日本人になった理由』はポプラ社から刊行されています。エポペについても貴重なページを割いていただいていますので、ぜひお読みになってみてください。
彼との最初の出会いは、インドのマザーハウス(マザーテレサの施設)へのボランティアとして乗り合わせた飛行機の機中でした。わたしたちは年齢が近いこともあって、すぐに仲良くなりました。
「自分は救命救急の仕事をしていますが、なんの器材も薬もないところで、正直、医療行為なんかできないんですよ。アメリカの飛行機の中なんかだと、訴えられかねないですし」
(注・この内容は当時の時代背景や状況を前提としての話なので、ことによると現在の設備や法律はもう少しマシになっているかもしれません)
冷静に考えてみると当たり前のはずなのですが、期待が大きいだけに、医師も看護師も神ならぬ身であることをわたしたちはつい忘れがちなのかもしれません。
偶然、隣り合わせに座った二人は、医療の現場での限界と宗教の役割について語り合っていました。すると突然、まさに、そのドクターコールが流れ始めました。
まるで神の試練であるかのように。
「お客さまの中に、お医者さまはいらっしゃらないでしょうか。機内で急病のお客さまがいらっしゃいます」
あれほど出て行けないと力説していた彼の身体が、反射的に中腰になって、あたりをキョロキョロと(今でも思い出す微笑ましい姿で)見まわします。
そして、「だれか行くでしょうから」と座りなおすも、どうにも落ち着かない様子。
しばらくして、再度のアナウスが緊張気味に流れました。
「お客さまの中に、お医者さまはいらっしゃらないでしょうか。機内で急病のお客さまがいらっしゃいます。どうぞ、お近くの……」
やはり、だれも出てはいかないようです。
1分が経ち、2分が経ち……。
「ちょっと、様子だけ見てきます」
と立ち上がり、先生はそそくさと出かけて行きました。
ネラン神父の『おバカさんの自叙伝半分』(講談社刊)のなかに、自分が神父になったのは、医師が飛行機の機内で呼ばれたことと同じであるという件がありますが、まさにその瞬間に立ち会ったのでした。
わたしとしては、それでも貴方はやっぱり行くわけね……と、少し安堵したような、とても気の毒なような、なんだか非常に複雑な思いに駆られたものです。
召し出し、召命、べルーフ、ボケーション、コーリング。このときほど、困難な状況のなかで医師や司祭にと、神様に呼ばれていった人々のために心からの祈りを捧げたいと思ったことはありません。
先生が、短い期間でしたがエポペのカウンターのなかで手伝ってくれることになるのは、その数年後のことになります。そのときの取って置きの話はまたエポペで(笑)。
ちなみに、あの頃、まだ新米の研修医だった先生は、インドから帰って、先輩の医師たちから機内でのさまざまな処置を猛勉強し、いまでは、(やはり尻込みするドクターが多いなかで…)一番最初に手を挙げるようにしているそうです。(拍手!)
それでも、いろいろな意味で相当の勇気と覚悟が必要なことに変わりはないようです。日本における「善きサマリア人法」制定の重要性もさることながら、わたしたち患者の側でも、感謝の念を忘れないで治療を受けることも必要ではないでしょうか。
エポペでバーテンダーの研修を受けたマサヤさんが、カンボジアの水上村に派遣されて四年になりますが、このたび一時帰国の機会に来てくださいました。
カンボジアでは、母子の健康を守るための医療や安全な水のサポート、小物を作製して現金収入にするといったプロジェクトの担当者として日々頑張っています。
(帰国報告会が随時行われています。http://jlmm.net/)
大学を卒業してすぐにJLMM(日本カトリック信徒宣教者会)に入り、エポペで研修生として働いていただいてから久しぶりの来店。しかし、いつも現地からのお便りメールをもらっていたせいか、とくに違和感もなく、頭も金髪になって(近頃の若者の流行り? 現地で200円だそうな)、顔つきも体つきもずいぶん精悍になった気がします。
その彼の口から、宣教者として自分のような信徒が世界に派遣されたとはいえ、日々の何気ない出会いや、衝撃的な体験のなかで、自分の方が生きた信仰を現地で学ばせていただいている、と聞かされたときは、自分のアフリカやベトナムでの体験を思い出して深くうなずきました。
横で聞いておられた、留学先の京都の大学を卒業し、現在は香港で(広~い邸宅に!)住んでいる中国人機関投資家の方が、
「あなたのお話にとても感銘を受けました。どうか必ず、香港に寄ってください。そして御馳走させてください」
といって住所の交換になる一コマもありました。
さて、エポペでの研修の第一の意味は、多くのお客さまにお会いすることができるという点です。学生やサラリーマン、OL、会社役員や公務員まで、職種も年齢層もさまざまです。
お話の内容も多岐にわたり、気楽に本音で話せ、すぐに飲み友達になれることも魅力です。学生時代には、なかなかお話しできないような社長や部長といった役職者にも直接質疑応答ができ、社会に出る前の事前学習にはもってこいなのです。
そして日本人に限らず、特に外国人留学生の場合は、お客さまとの会話の中で日本の文化や習慣を学びながら、みな例外なく、日本語能力が飛躍的に伸びていきます。短い期間でびっくりするほど上達するのです。
(さらには、フランス語や韓国語を、エポペの営業時間外に格安で教えている外国人スタッフもいますから、どうぞお問い合わせください)。
研修の二番目の意味は、サービスの難しさを学ぶことです。お客さまのお好みに応じること、相手の望みに従うことはそう生易しいことではありません。カウンターの外から見るとなんだか楽しいことばかりのように見えますが……白鳥も水面下では流されないように必死に足をバタバタさせているのだとか(笑)。
そして三番目は、自分が思っていること、信じていることを、誰かに伝えることの難しさを身をもって知ることです。
たとえば、マサヤさんの場合は、JLMM(日本カトリック信徒宣教者会)から来ましたと自己紹介をするわけですが、そのグループは何か、何を目的としているのか、なぜあなたはそこに入ったのか、何をしたいのか、などなど、さまざまな質問を受けることになるわけです。
実はそれこそが大切な研修になります。
いつか海外に派遣され、現地に赴けば、いやでもそのような質問に、日々答えなければならないのですから。そしてなによりも、自分で自分に投げかける問いに、自分で答える必要に迫られるようになるのですから…。
そしてもちろん、宣教者である以上、キリスト教とは何かを質問されることもありますから、自分にとっての信仰や、キリスト教とは何かを自分の言葉で、丁寧にわかりやすく説明しなければならないのは当然です。
どうですか、間違いなくいい体験になるはずですが?
そうそう、大切なことを言い忘れていましたが、エポペ・スタッフのモットーは、
容姿端麗、頭脳明晰、薄給酷使、長期滞在、乞御期待!です。
ご希望者はどうぞ、それをお忘れなく(笑)。