あらためて考えるに、原子力の安全神話といったものも、信心の対象といえるでしょうか。
キリスト教では、科学を否定することはありませんが、過信を戒めます。科学によるテクノロジーは手段であって目的ではないからです。
どのような発電方式も、あくまでもテクノロジーの一つの選択肢に過ぎなかったはずです。神ではないわたしたちは、間違い得る存在であり、一たび間違えるとどうなるかを今回の大事故で真摯に学んだのではないでしょうか。
しかも、この事故は未だに終わってはおらず、残念ながら長期化することは間違いないようです。
神ではない人間にも、想像することができます。
はじめから決められた「想定」ではなく、モノであるからには自ずから限界があり、どのような危険が秘められているかを、想像できるはずです。
剰え地震大国であるわが国で、万が一にも同じような事故が他の原発でも起きとしたら、日本の立ち直りは遠のくどころか、想像通り以上の事態になることでしょう。
いま懸案の浜岡原発は、マグニチュード(M)8級が想定される東海地震の震源域の真上に位置しています。
大震災が「想定」さえもされている浜岡原発の即時停止を望む声は、ここ歌舞伎町でもますます大きくなってきています。
<広瀬隆氏講演>
http://www.youtube.com/user/siryou100#p/u/3/50zWZU4rhPw
<小出裕章氏 (京都大学原子炉実験所)講演>
http://www.youtube.com/user/siryou100#p/u/13/w4YYtHnvmcc<
<小佐古敏荘氏(東京大学大学院教授)会見全文>
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/200/80519.html