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小説『おバカさん』と『わたしが・棄てた・女』―日本人の救いとキリスト教③
2011-07-28-Thu  CATEGORY: キリスト教

 日本人にとってのイエス・キリストの救いを説明しようとした遠藤周作氏は、『おバカさん』の主人公ガストン・ボナパルドを通してそれを表現しました。

 同様に『わたしが・棄てた・女』の森田ミツの姿にも、キリストの死と復活のテーマがはっきりと描かれていると言われています。

 この二つの小説に共通する点は、だれもが当たり前だと感じている、なんでもない日常の出来事、人間の性(さが)や哀しみの現実の中に、ゆるしや昇華(聖化)の姿を描き出しているところです。

 遠藤氏は、キリストの復活はそのような日常の中にこそ生まれ息づいているということを描きたかったのでしょう。

 ※(この点について、音楽家でもある白百合女子大学キリスト教文化研究所所長の星野正道神父の講義が秀逸です。9月には、このテーマに触れている新刊書も刊行されるそうですのでお楽しみに!)

 わたしの場合はどうだったのかを少しだけお話ししますと、この「救い」を理解しはじめたのは歌舞伎町のネオン街のとあるバーのおかげです(笑)。

 それまでにもキリスト教について多少の知識はあったにせよ、信仰としてのリアリティがいま一つ掴めなかったわたしにとって、バーテンダー姿のネラン神父の存在は正直驚きでした。

 確かに、歴史や哲学の一環としてキリスト教は必要不可欠であり、そこで説かれている愛や真理についても、なるほどそういう考えもあるだろうとはぼんやり思っていましたが、いわゆる信仰の対象としてはピンとこなかったのです。

 言い換えれば「イエスは復活して生きておられる」という意味が理解できなかったのです。

 ところが、その弟子が、わざわざフランスくんだりからやってきて、教壇での仕事も投げ打って、目の前に蝶ネクタイ姿で立っている。

 この事実によって、2000年前に殺されたイエス・キリストが時代を超えて今なお生きている、ということが一瞬にして理解できたように思えたのです。

 若かった当時のわたしの信仰理解は、まだプリミィティブで幼いものだったのかもしれませんが、以後真剣にイエス・キリストを知ろうとするための動機としては、十分すぎるほどの衝撃だったのです。

 そして実は、かなり後になって知ることになりますが、このネラン神父こそは、あの『おバカさん』のモデルだったのでした。

※ 星野正道著『崩壊の時代に射す光――ヨブとミツが立つ世界の中で』1470円(オリエンス宗教研究所刊)


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