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傾聴・耳を傾けるということ
2011-12-15-Thu  CATEGORY: ボランティア


「上手にきいていただいて、ありがとうございました」

NHKの番組「こころの時代~宗教・人生~アーカイブス」(無心のすすめ 福島慶道老師)の最後で、インタビュアーの御礼に対して、こう応える元東福寺派管長の言葉に、本物の宗教者の姿を感じたことがあります。

だれかのお話を訊く・聴くというのは、非常に難しいことを心底分かっている方の言葉だと思ったからです。

お客さまのお話を聴くということは、どんな仕事においても基本だと思いますが、ただただ人の話を聴くということは、実は非常に難しいもの。

被災地には、傾聴ボランティアとして、多くの宗教者が現地に入っています。

ネラン神父は、「人はだれかに相談をしようとするとき、自分の結論は出ているもの。だから、わたしは説教をするのではなく自分の耳を貸すだけ」だと申しておりましたが、この「耳を貸すだけ」ということが意外に難しいのです。

当たり前ですが、耳を傾けるということは、単に音を聞いていればいいというものではなく、相手の方の言葉を理解して受け留めることです。

ある意味で、その方が背負っているものを分かち合う姿勢が必要になります。

もちろん、具体的には、その方の人生を背負うことなどできないのですから、ある意味で、なのですが、この理解するという姿勢だけでもまた非常に難しいことなのです。

「忠告して欲しいんじゃないのよ、ただ聴いて欲しいの!」というお客さまのエピソードについては、以前もブログに書きましたが、逆に言えば、聴いてもらえるだけで、人はかなり救われる気持ちになるのでしょう。

ただ、聴く側は、聞くだけではなく、理解しながら聴くのですから、相当の集中力が必要になりますし、わからなかったり、聞き漏らしたら尋ねるのは当然ですが、あくまでも聴くことに徹することが要求されます。

ですから、たった1時間だけでも傾聴するのは、仕事としては非常に大変な作業になります。

厳密には、仕事だと思ったらできないことなのかもしれません。目の前にいる方をこころから大切に思わないと務まるものではありませんし、人間が好きでないと向いていないかもしれません。

そして、相手の恥ずかしいと思っているような内容を伺ったときにも、それを誰かに漏らさないことはもちろん、次回会ったときには、(きれいに忘れているかのように)普通に接することも大切になります。

熟練のマスターは罪のゆるしは与えません(与えられません!笑)が、愚痴や恥かしい話、哀しく辛い内容を常に聴き続けていますので、次回お会いした時にも、まるで何もなかったかのように優しく対応してくれるはずです。

ちなみに、カトリック司祭(神父)の場合は、信者の罪の告白をきいた後に、罪のゆるしを与えることができます。

そして、その内容は決して漏らされないわけですが、その後、それがどれほど重い罪だったとしても、相手や周りの人にも、話すのはもちろん、態度で表すことさえできないという重い任務を負っています。

(しみじみ、大変な召命だと思います……)

年末に向けて、苦しい思いを抱えておられる方がおられたら、どうぞ、お近くの教会をお尋ねになってみてください。きっと、力になっていただけるはずです。

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