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ドイツの歴史・エネルギー教育――「ナチス発言」のゆくえ
2013-08-04-Sun  CATEGORY: 日誌


日本を代表する政治家の「ナチス発言」が国際社会で非常に大きく取り上げられている背景には、福島原発の事故とその後の対応とも密接にリンクしているようです。その前提となっている、現在のドイツの教育や文化の醸成について、示唆に富む内容をご紹介いたします。

2012年3月17日に行われた関東学院大学の2011年度公開シンポジウムで、安田八十五(関東学院大学経済学部教授・工学博士)、木村護郎クリストフ(上智大学外国語学部准教授)、安田治夫(日本基督教団大和教会牧師)の三氏が講師兼パネラーとなり、木村護郎クリストフ氏は、ドイツの人々が、福島の原発事故にあれほど敏感に反応したことについて次のように発言しています。

(関東学院は同志社と並び称される、上智大学以上に歴史のあるプロテスタントの大学の一つです。ラグビー対決でも有名ですが!)

「私も今回、ドイツが福島の原発事故にあれほど敏感に反応したことには驚きました。多分、世界で一番、当事国の日本以上に反応したのがドイツで、なぜここまで過敏なのだろうかと関心をもちました。

今年(2012年)3月11日のドイツの『Die Welt』という大きな新聞の第1面に、『1年後、何も学ばず』というタイトルで日本についての記事があり、1年たっても日本は何も学んでいないのではないかという疑問が挙げられていました。

なぜドイツがあれほど敏感なのかということに関して、いろいろなドイツ人に聞いてみると、何人かの人が共通して答えていたのが、ナチスドイツの反省を踏まえているということなのです。

なぜ、ナチスに関係するかというと、ナチスドイツ、ヒトラーというとんでもない人物についていったドイツ人は、無批判に権威に従ったということがあり、ドイツでは特に1968年以降、そういうことを真剣に問い直す教育が行われてきていて、批判的に物事を見る文化を養成することを教育の根幹に位置づけています。

権威に対する『不信の文化』(Kultur des Mistrauens)ということも言われます。今回、311の後、ドイツと日本のエネルギー問題の教科書を比較してみたのですが、あまりの違いにがくぜんとしました。

日本の教材には原発がいかに安全であるかということを書いてあって、批判的に考えようということはなく、こうなのだと押し付けるかのような教科書でした。しかも原子力が原爆と関係があるなどということは一切出てこないのです。全く一言も書いていない。

エネルギー問題として安全なエネルギーをどう供給するかということに対して日本は頑張っているという宣伝なのです。ドイツの教材は、原爆と原子力の切っても切れない関係という起源から始まって、原子力のいい点と悪い点としてこういうことがあるけれどもどう考えるか、という内容なのです。

(中略)

もう一つ、個人的な見解として、他の点でナチスの歴史から学んだことを応用している人もいました。例えばユダヤ人は、最初、ナチスが政権を取ったときに逃げなかったのです。まさかあんなにひどいことになるとは、その後ホロコーストが起こるとは思わなかった。

ヒトラーはユダヤ人を虐殺すると言っているけれども本当にするわけがないと思っていたのです。ところが徐々にエスカレートして、ついにアウシュビッツに代表される大虐殺に至ったのです。

今回の原子力の問題も、大丈夫と言って安心しているのではなく、最初から、起こりうることは考えないといけないのではないかと、歴史の授業で学んだことを原子力の問題にも応用して考えているという意見があって、大変興味深く思いました」

(「環境問題から見た東日本大震災の意味とキリスト教の役割『環境神学』の構築をめざして」、関東学院大学キリスト教と文化研究所所報2012年度『キリスト教と文化』第11号)

引用が長くなって恐縮ですが、今回の、国を代表する政治家の発言を「問題視しない」日本社会は、やはり過去から何も学んでいないと見られた。

つまり、かつてはナチス・ドイツの同盟国であったということを世界の人びとに鮮明に思い出させた、というだけでなく、今なお、放射能汚染水の漏出事故を隠蔽するような体質の国であり、やはり危ない国だと思わせたという深刻な状況にあるということなのでしょう…。

さらに間の悪いことに、今以上に汚染水が流出する危険があるとの重大ニュースは世界を駆け巡っており、国際社会に多大な迷惑をかけている日本の姿勢として、いかにも適切ではない状況です。

人間は罪を犯すものです。ましてや多くの人間が集まる国家という集まりが無謬であるわけがなく、国という存在がいろいろな意味で罪深いのは、どこの国であっても、むしろ当然なのではないでしょうか。

もちろん、だからといって開き直って、同じ愚を重ねるのは真の狂気ですし、その「国」をあたかも神のごとく絶対視し、ましてやそのリーダーたちをその依代(よりしろ)として崇め奉ることが、いかに危険でカルト的であるかは、過去の歴史が明確に示すところです。

歴史での出来事は出来事として受け止め、今後そうならないようにするのが後進の努めであり、それこそは、先の戦争に否応なく巻き込まれ、わが国だけで300万人を超える尊い犠牲者を出してしまった先人たちの切なる願いではないでしょうか。

(ちなみに日本の現在の年間出生数は100万人を少し超える程度。老人人口だけはその数十倍で、さらに増え続けています。改憲して戦争ができる国にすると息巻く前に、この現実こそを直視すべきだと思いますが…)


※発言者(講師兼パネラー)の掲載に誤りがございました。深くお詫びして訂正させていただきます。

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