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エポペ航行日誌
「皇帝のものは皇帝へ」(オリビエ・シェガレ師説教)
2014-10-23-Thu  CATEGORY: キリスト教


皆さまお元気ですか。
 先日のオリビエ・シェガレ師(パリミッション日本管区長)の説教を、ご許可をいただいて掲載させていただきます。それでは今月最終土曜日(2014年10月25日)のエポペの集いでもお会いいたしましょう!

「皇帝のものは皇帝へ」(A年 年間第29主日 マタイ22・15-21 )

 今日の福音のテーマは私たちにとって身近な税金の問題と関係があるものです。どの国でも税金を払うのは国民の皆さんなので、税金は誰の懐に入るか、誰のために使われるか、当然皆がそれに関心を持ち、ちゃんとチェックする義務もあります。税制は国によって仕組みが違いますが、民主主義の場合は納められた税金は社会保障や学校と施設、道路の建設のために使われるはずなので、給料から天引きされるのはいやだと思っても、共通善のためなら納得して納めます。しかし独裁体制、あるいは植民地制のもとにある国の場合は、人々から取られた税は、独裁者や彼を支えている少数エリートの懐に入り、国民全体の利益にならず、税金を拒否するという過激的な立場を取る人が出てきます。

 ローマの植民地制のもとにあったイエスの国はこのケースに当たりました。人から納められていた税金の大部分は国を占領していたローマ皇帝をはじめ、ヘロデ王のようなローマ帝国に協力していたユダヤ国のエリートに流用されていました。ゼロタイ(熱心党)という過激活動家の一部の人が抗議のしるしとして税金を拒否し、テロ行為を続けていました。しかしローマ人はユダヤ社会の構造そのままの存続をゆるし、国のために学校や道路を作り、良いこともしていたのは否定できませんでした。その理由で、税金を払ってもいいではないかとローマ軍を歓迎していたサドカイ派の人々がいました。また政治のこととの関わりを避け、立場をはっきり取らない敬虔なファリサイ派の人々がいました。

 今日の福音に登場する彼らは、罪人(つみびと)とレッテルを貼られていた貧しい人々の側に立つイエスのところに来て、人々の間に争いの種となる税金の問題を取りあげて、罠にかけようとします。もしイエスは税金を納めてはいけないというなら、税金を拒否するゼロタイ側の立場を取る者として、テロリストと見なされてしまいます。逆に税金を払ってもいいというサドカイ人の立場を取るなら、イエスはコラボ、つまり国の敵と協力している者と見なされます。罠をかけられ追い詰められたイエスの対応は皆さんがご存知です。デナリオンを持って下さいと。一万円札に福沢諭吉の肖像が印刷されているように、デナリオンの銀貨にローマ皇帝の肖像と銘が刻まれていました。神として崇拝されていた皇帝の像は、当時人々の心の動きをコントロールしようとする絶対的な国家権力のシンボルとなっていて、信仰の立場からすると偶像の一つでした。

 イエスの言葉は有名です。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」。教会の中ではこの言葉について、様々な解釈が出ています。その一つで教会は政治と関わってはいけないというものがあります。これは政教分離という意味でとらえれば問題はありません。近代になって教会は、世俗社会をはじめ政治の自律を認めているからです。しかし教会は神の姿である人間の尊重、命の大切さ、侵してはならない良心の尊さといった、福音だけでなく、人類の知恵に根ざす原理を持っており、それを国に向かって訴えるのは、国の政策への介入ではありません。

 また信者は一人一人の市民として、声を上げることによって国の政策に影響を及ぼし、政党を支持し、選挙に参加し、政治活動に積極的に関わってもいいことだとされています。むしろ、いいだけではなく、関わるべき責任があると思います。しかし教会は、教会として特定の政党への支持、政治的発言したりしてはなりません。逆に国家の役割は国を守り、経済、文化、教育など促進することにありますが、国家は、宗教の教えや信仰の事柄に干渉してはいけないし、信教の自由を尊重すべきです。もしも国家が議会に与えられた権限を悪用するならば、教会はそれに抗議してもいいのです。国家権力は偶像であってはならない。国家は国民のためにあるのであって、人々は国家のためにある訳ではありません。神に所属する人々の心を支配し、良心を負かすことはできません、抑圧の道具となってはいけまあせん。今日の福音は現代の私たちに向かってこのメッセージをはっきりと伝えています。

 このメッセージを受けて、教会は昔から、国家権力の野望から人を守ってきました。日本の教会もそうです。福音のメッセージを受けて命を捧げた殉教者は沢山います。明治維新後日本に来た宣教たちは信仰を否定する幕府の暴力的政策からキリスタンを守り、国家とぶつかって多くの信者が殉教しました。現代でも教会は皇帝の像のような国家権力のシンボルに警戒を呼びかけ、人間を守る正義と平和の道を唱えています。人は皇帝のために生きるのではなく、神の教えと兄弟のために生きているということはもう一度今日の福音を通して確認していきたいと思います。どうか私たちは、戦争がやまない複雑な世界の中で、抽象的な原理だけではなく、温かい知恵によって、具体的な平和の道具となれますように、祈りたいと思います。

 (オリビエ・シェガレ師説教「年間第29主日A年」2014年10月19日・東京カテドラル聖マリア大聖堂)

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