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エポペ・クリスマス説教 2015 (オリビエ・シェガレ神父)
2016-03-03-Thu  CATEGORY: キリスト教

 今年私は47回目の日本のクリスマスを迎えています。昔に比べて最近のクリスマスはやや変わっていて、少々控えめになったかなと感じます。電気の節約のために、イルミネーションが減ったというためだけではないようです。日本国民の一般の人にとって、クリスマスそのものの新鮮味が薄くなってきたからかも知れません。

 町にはサンタクロースが増えすぎて、子供でさえ関心がなくなったようです。今日はあるデパートの入り口の前で、サンタクロースの格好をしている犬を見かけました。Christmasは人間だけではなく、動物の祭りに広がりつつあります! イエスが生まれた馬小屋には、牛やロバや羊、動物がたくさんいたので犬のサンタクロースがいてもいいではないかと思いました。

 Christmasの過ごし方も変わってきました。最近の調査によれば昔のクリスマスの時には旅行をしたり、レストランに出かけたりするなど、外出をすることが多かったそうですが、今は家で家族と一緒に過ごして楽しむ人が多くなったのだそうです。家族回帰という傾向のしるしの一つでしょう。Christmasを静かに過ごすことはChristmasらしい過ごし方で、いい現象だと思います。Christmasは昔ほど派手ではなく変わったとしてもその人気が衰えず、教会に所属する人の祭りだけではなく、その喜びが全世界の人々や生き物に共有されているのは、本当に嬉しいことだと感じまします。

 エポペとつながる私たちはネラン神父のはじめた習慣を引き継ぎ、街のレストランに集まり、クリスマスをお祝いしています。ネラン神父の考えでは、キリスト教が知られていない日本の社会の中にあって、敷居が高い教会のお御堂よりも一般大衆の中でクリスマスをお祝いするのがふさわしく、福音宣教の場ともなるという考えでした。今日、私たちの目的はご馳走をたらふく食べることだけではなく、クリスマスのミサやその後の食事を通して交流をしながらイエスの誕生の喜びを分かち合うことです。

 私たちにとってChristmasは気分やムードだけでもなく、クリスマスの物語の甘い夢、おとぎ話、子供向きの童話のようなものでもありません。クリスマスを通して大事なメッセージが私たちに向けられています。それは神が私たちの歴史に関わり、私たちの生活、家庭、職場、地域社会にお入りになり、人間の喜びや悲しみを背負い、私たちと共におられるということです。

 今晩私たちはこのメッセージの光に照らし合わせて、今年の出来事を思い出しながら世界の様々な現実を振り返ることにしたいと思います。その中にローマで開催されたシノドスのテーマとなった現代の家庭の現実が浮かび上がってきます。先ほどの聖書朗読の箇所から、イエスの家庭に起こった具体的な出来事を聞きました。イエスのご両親、ヨセフとマリア、このお二人は人形ではなくリアルなお父さんとお母さんでした。全てのお父さんとお母さんのように一人の赤ん坊の命の誕生を喜んで迎え入れ、大事に守ろうとしていました。

 しかし、宿の部屋が断られたり、生まれた直後に迫害を逃れてエジプトという遠い国に避難したりしなければなりませんでした。正式に結婚していなかったヨセフとマリアの家庭はさまざまな差別を受けながら、自分の子はどうなるか、この子の上にある神の計画はなかなか理解できませんでした。イエスが生まれて2000年が経った今年も色々な危機にさらされている家庭の姿が浮かんできます。シリアから逃げて長い旅を強いられていて、家がなく彷徨っている難民の家庭。さまざまな分裂や離婚などのために壊れて増加する、いわゆる再構成家庭、親と一緒に住めない子供の家庭など。

 教皇フランシスコはこのような家庭を差別の目で見るのではなく、私たちが家庭の苦しみをもっと温かく顧みて、受け入れる必要性を唱えました。今晩、明日の事はよく見えてこない多くの親は、Christmasの慰めを感じて、マリアとヨセフのように信仰の恵みが与えられて、神様のみ旨を受け取り、家庭の行方を神様に委ねて、救いを感じ取ることができますように祈りたいと思います。

 クリスマスはマリアとヨセフだけではありません。周りに野宿して番をする羊飼いの姿も私たちの目に浮かんでいます。彼らは決しておとぎ話の人物ではありません。当時、彼らはユダヤ人社会から差別され、生活の安定がなく、最も貧しい人々で、神に頼る以外に生きる方法がありませんでした。財産も立場もない彼らは、一番早めに主の誕生に気がついて、飼い葉桶で生まれた救い主を迎えています。彼らの姿を通して、格差社会に取り残されていて、仕事の安定も生活の保証もないホームレスの方々、あるいは大勢の不定期労働の若者たちの姿が浮かんできます。三年前を思い出しますが、東日本大震災が起こり、私が釜石で支援の拠点作りに協力した時に、一番早くボランテイアの募集に応じたのはこうした若者でした。

 救い主のイエスが、もしも2000年前のイスラエルという国ではなく、今日の東京にお生まれになっていたなら、どういうことになったでしょうか。想像ですが、年の瀬で、東京のホテルが満杯で部屋を取れないため、ヨゼフは大工の仕事の関係を通じて、仲間から寄せ場を紹介してもらって、マリアを山谷に連れていき、イエスは路上で生まれたと仮定します。きっとそこに野宿しているホームレスのおじさんたちは、大喜びでイエスの誕生をお祝いしたのではなかったかと思います。そしてクリスマスの祭りで忙しい教会の私たちは、この子の誕生に気づいていなかったということかもしれません。

 そうです。イエスの誕生という出来事と関係している人物は決してフィクションの人物ではありません。出来事の背景にローマ帝国軍の侵略、子供の虐殺を命令し、テロ行為を繰り返すヘロデ王の姿があります。彼らの動きを通して今日の帝国の支配、世界中起こっているテロ事件の現実が目に浮かんでくるものです。紛争やテロの犠牲となる多数の難民、独裁者政権の弾圧を受ける民衆の姿などが浮かんできます。

 それと同時に暴力や戦争に反対し、平和の憲法を守ろうとする日本市民の平和への訴えが聞こえてくるような気がします。今日、天使たちは「神の心にかなう善意を持っている人々に平和」と唱えています! 

 今年は戦後70年を振り返って、1年間ほど平和のことについて反省が行われ、憲法の9条を守ろうとする声が全国中で湧き上がっていました。今再びテロが広がり、セキュリティの名の下に多くの国が国境を閉ざし、武装化を高めていこうとしています。こんな時だからこそ、きょう誕生する無防備の幼い子がもたらす平和を受け入れ、互いにゆるし合い、互いに支え合い、心が一つとなることを祈りたいと思います。

(オリビエ・シェガレ神父 パリミッション日本管区管区長 2015年12月23日)

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